ドラマや映画、CM、ラジオ、舞台に大活躍の天海祐希(あまみ ゆうき)さん。今や知らない人はいないベテラン女優。映画やドラマでは主演女優賞や助演女優賞など数々のタイトルを獲得し、実力も兼ね備えた人気度トップレベルの大女優です。
「新入社員から見た女性上司の理想像」という調査では、2006年に2位に選ばれたのを機に、その後も毎年上位をキープし、明治安田生命が行った調査では、なんと2009年から2016年まで7年連続1位を獲得しています。
2017年に50歳を迎えましたが、変わらず年齢を感じさせない若々しいオーラと美貌が魅力の天海祐希さんですが、女優になる前は宝塚歌劇団で活躍されていました。
不動の人気を誇る天海祐希さん、宝塚時代には数々の型破り的な伝説を残しておられるようですが、はたして宝塚時代の人気度はどうだったのでしょうか?
また、男女問わず盤石な人気を誇っているにもかかわらず天海祐希さんは、未だに独身です。今までに熱愛が噂されたことは数々ありましたが、どれも結婚へは至りませんでした。そこには結婚や子供へのイメージがトラウマになったのではと思える節がありそうです。
そこで今回は、天海祐希さんの宝塚時代の人気度を検証するとともに、結婚と子供に対するイメージがトラウマになったと思われるきっかけについて迫ってみたいと思います。
天海祐希、宝塚までの道のり
先ずは天海祐希さんの宝塚歌劇団に入団するまでの来歴について紹介したいと思います。天海祐希さんは、
- 生年月日:1967年8月8日
- 出身地:東京都台東区東上野
- 本名:中野祐里(なかの ゆり)
- 身長:171cm
- 血液型:O型
- 兄妹:兄と弟の3人兄弟
今年、2018年の誕生日を迎えて51歳となります。彼女の明るさ、力強さ、美しさからは決して50歳を過ぎているとは思えない容姿とオーラです。しかも、身長が171cmとなれば女性としては十分に高身長で中身も見た目も強力オーラです。
天海祐希さん、本名は中野祐里って言うんですね。調べてみると、天海祐希という芸名は、父と相談し、
- 漢字四文字であること
- 本名から「祐」の文字を使う
- 未来への希望という意味から「希」を使う
ということから、
- 天海祐希(あまみ ゆうき)
- 木条祐希(きじょう ゆうき)
の2つの候補が挙がったようですが、最終的に宝塚音楽学校の副校長からスケールが大きい方が良いとのアドバイスから、現在の「天海祐希」に決まったといいます。結果論になってしまいますが、もしも天海祐希が木条祐希という芸名にしていたと仮定すると、なんだかイメージがマッチしませんよね。
そんな天海祐希さんの学歴はというと、
- 台東区立西町小学校
- 台東区立御徒町中学校
- 杉並学院高等学校(当時は菊華高等学校)
と一般的な公立校を進みます。
演劇に興味のあった彼女は中学の時に演劇部に入ったようですが、2年生の時に宝塚ファンだった担任の先生からの勧めがあって宝塚歌劇団への入団を志望するようになります。演劇部だからといって、いきなり宝塚を勧めるなんて通常はありえませんよね。
やはりそこには中学時代から演劇において宝塚の雰囲気を彷彿とさせるようなオーラを放っていたからこそ担任にそのようなイメージを持たせたということではないでしょうか。実はこの担任との出会いとアドバイスは、当時の本人が想像できない、将来を決める劇的な瞬間だったのだと想像できます。
その後高校2年間を終了した1985年に、宝塚歌劇団への登竜門である宝塚音楽学校へ見事首席で入学します。この瞬間から天海祐希の宝塚時代が幕を開けることとなります。
伝説的な記録を残した宝塚時代に人気度が見える
宝塚音楽学校への入学時は首席だった天海祐希さんですが、1987年に73期生として宝塚歌劇団へ入団した際は26番だったようです。ところがこの順位は正に嵐の前の静けさといったところでしょう。
宝塚歌劇団に入団した天海祐希さんは月組に配属され、彼女の嵐は早くも1年目から吹き始めます。
- 新人公演「ミー・アンド・マイガール」で初主演!
を演じたのです。
この新人公演というのは、入団1年目から7年目までの新人で本公演と同じ演目で演じられるものですが、天海祐希さんはこの時入団10ヶ月で同期の団員はもちろんのこと周りの先輩方をも押しのけての主演ということになります。
これまでの宝塚歌劇団史上、新人公演での主役をこんなに早く演じた団員は後にも先にもありません。天海祐希さんが最初に打ち立てた伝説となります。
- 入団6年半で月組の男役トップスターに!
通常、男役トップスターになるのは入団10年目と言われる中、天海祐希さんは入団からわずか6年半で新人公演を卒業する前にトップスターになっています。これは宝塚歌劇団史上、最速となります。これだけ早く男役トップスターに昇りつめた団員は今現在もいません。
やはり天海祐希さん、当初から男役として生まれ持った身長に加えて、人並みはずれた高いスキルと魅力を併せ持っていたことが分かります。元々、兄と弟という男兄弟の中で育った環境のせいで天海祐希さんの中には潜在的に男っぽさを醸し出す雰囲気が備わっていたのではと考えられます。
これだけの記録的な伝説を残すほどの演技の実力を持っているのですから、スピード出世の話題性も相まって、かなり多くのファンが天海祐希さんについたことは間違いありません。
天海祐希の宝塚時代は、正に演技の実力と美しさレベルもトップならば人気度もまた群を抜いてトップであったことは容易に想像できます。
人気度の高さ故に退団を早めた2つの要素
記録的な早さで月組の男役トップスターになった天海祐希さんは、その後も不動の人気度の高さを保ったまま、快進撃を続けます。
ところが宝塚歌劇団入団から8年、月組男役トップスターになって2年が経過した1995年12月、彼女が28歳の人気度絶頂期に宝塚歌劇団を退団します。当時はワイドショーを始め、マスコミ各社が退団の特集を組むなど世間の高い関心を集めました。
通例ではトップスターになってから平均5年は活動することが多い中、天海祐希さんのわずか2年で退団をしたというのはあまりにも早すぎるタイミングです。
この早期退団の理由として考えられるのは、
- 早い段階でトップスターに抜擢されたことで先輩団員の反感を買った
天海祐希さんが当時の先輩団員たちを押しのけて、記録的早さで男役トップスターになったということは、それを快く思わず、妬みを持つ先輩も少なくなかったと思われます。
そのため先輩団員から良く思われず、嫌がらせを受けるような環境が生まれ、精神的につらくなったため、異なるフィールドでの活躍の場所を求めたということ。
もう一つの見方として
- 早くトップスターの座を降りることで先輩団員にチャンスを与えた
目標であった女優へ転身し、そのフィールドで大成を目指すためには少しでも早い退団の方が良いと考えたのではということです。また、そうすることで結果的に他の団員たちにトップスターの座を獲得するチャンスを与えることになると考えたとも捉えることができないでしょうか。
この意識があったとすれば天海祐希さんの器の大きさには驚嘆させられます。まさしく神対応であり、ある意味男気を感じますね。
退団が早かった理由について2つの要素を挙げましたが、こうやって見てくると天海祐希さんの男気のあるサバサバした性格や個性の豊かさ、そしてパワフルなオーラからすると、嫌がらせを受けてつらいから退団したというのはどうも考えられませんね。
自身の更なる夢を実現するために、宝塚時代の人気度の高さを利用して一日でも早く、次なるステージである女優業へ移行したかったと考える方が自然でしょう。
こういう人柄がファンを惹きつけ、人気度をトップレベルまで押し上げていた要素の一つだったと言えます。結果としてこの早期退団は間違っていなかったことがその後の女優としての活躍からも見て取れます。
結婚と子供がトラウマになった!?
今年、2018年の8月8日をもって51歳になる天海祐希さんですが、これだけの人気度の高さと美貌を備えながら、結婚だけはなかなかチャンスがめぐってきません。
女優転身後間もないころは、宝塚時代の男役トップスターの時の癖が抜け切れず、ドラマや映画での演技に苦労したようですが、2004年に放送された「離婚弁護士」(フジテレビ系)で一気にブレークし、女優としての天海祐希に再び注目が集まり始めます。彼女が36歳の時になります。
宝塚時代、女優業ともに人気と名声を得た天海祐希さんですが、一方では年齢的にも「結婚」というものに対して世間の関心が集まるようになります。
当然ながら週刊誌やその他メディアも、天海祐希さんの結婚の可能性について常に目を光らせていたはずです。
そんな中で、熱愛の噂報道にあがった男性も何人かいました。主だった相手としては、
- 吉川晃司(ミュージシャン)
- 佐々木蔵之介(俳優)
- 真田広之(俳優)
いずれもしっかりと知名度のある相手ばかりです。
佐々木蔵之介氏に関しては、確かに噂は流れましたが、天海祐希さんがメインパーソナリティを務めたバラエティ番組「天海祐希・石田ゆりこのスナックあけぼの橋」に佐々木氏が出演した際に2人ともその事実を否定していました。
真田広之氏についても、お互いの所属事務所が事実を否定し、結局噂止まりでした。
特筆すべきは、2003年に発覚した天海祐希さんよりも2歳年上のミュージシャン:吉川晃司氏との熱愛です。この時は、二人とも交際を堂々と認めて、公然とデートをする仲になっていました。
天海祐希さん自身も当時は、吉川氏の
- まっすぐで純粋なところ
- 曲作りに対する真剣な取り組み
- 侍のような人
に惹かれていると宣言しています。
実は、天海祐希さんの方から吉川晃司氏にプロポーズをしたということですから、彼女の真剣ぶりがうかがえます。ところが、この恋は、2006年の夏ごろに終焉を迎えます。破局理由は、お互いの生活サイクルと価値観の違いということだったようです。
ところが問題はその後、2011年に吉川氏が一般女性と結婚するのですが、その時既にその女性との間に2歳になる子供がいたというから驚きです。その女性が身ごもったタイミングを考えると、天海祐希さんとの交際中に二股していた可能性も想像できてしまいます。
天海祐希さんの心境を考えると、いくらその時に恋は破局していたといっても非常に後味の悪い状況です。現に天海祐希さん、その後吉川氏との共演の話しも持ち上がったようですが「共演NG」宣言をしていることを考えれば、尋常ではない心境がうかがえます。
真剣に結婚まで考えた相手が、タイミングとしては微妙ではあるものの自分との破局直後に他の女性との間に子供ができるとは誰にとってもショッキングでしょう。「結婚」と「子供」という2つのキーワードがトラウマになってもおかしくありませんね。
結婚を考えるような恋愛となるとそれなりにエネルギーを消費するものです。天海祐希さんの仕事面や性格の観点からみても、今後において「結婚」や「子供」となると、「もう結構です!」と言いそうですね。
実際、本人は方々で「生涯独身」宣言をしていることからすると、この心境予測は間違ってはいないでしょう。
まとめ
- 天海祐希は中学2年の時に担任に勧められたことで宝塚歌劇団を志望
- 天海祐希は宝塚音楽学校へ首席で入学
- 宝塚歌劇団入団1年目にして新人公演主役を務める伝説を残した
- 宝塚歌劇団史上最速で月組男役トップスターとなる伝説を残した
- 天海祐希の宝塚時代の人気度はトップレベル
- 天海祐希の最終目標はタカラジェンヌではなく女優になることだった
- 天海祐希にとって吉川晃司は結婚を考える真剣な交際相手だった
- 吉川晃司との破局から天海祐希の結婚と子供に対するトラウマが生まれた
中学生時代に宝塚への夢を抱き、その夢を着実に現実のものにしてきた天海祐希さん。夢を実現させるということすら凡人には困難な中、宝塚時代には記録的な伝説まで打ち立て、人気度No.1を獲得したのみならず、女優になってからもその人気は衰えずですから、実に見事な生き様です。
しかし、一方での生涯独身宣言はある意味寂しい気もしなくはないですが、サバサバと明るく生きていく様もまた天海祐希さんらしさなのかもしれませんね。
宝塚時代から続く華やかさを今後も持続していただき、多くのファンの気持ちも、より華やかなものにしていかれることを期待します。