山号(寺院に付ける称号)を豊山(ぶさん)と称す奈良の長谷寺。西暦686年に道明上人(どうみょうしょうにん)が天武天皇のために、現在の奈良県桜井市の初瀬山(はせやま)西の丘に「長谷寺銅板法華説相図」(はせでらどうばんほっけせっそうず)を安置したことでその歴史が始まります。
現在、奈良の長谷寺は真言宗豊山派総本山として関係寺院は三千あまり、西国三十三所第八番札所として、実に200万人を超える信徒を有する有名な寺院となっています。
平安時代には宮廷女性や貴族の間で京都から遠路はるばるこの奈良の長谷寺へ詣でることが流行りとなり、その後現在に至るまで長きに渡って多くの人々の信仰の拠り所として親しまれてきました。
この長谷寺のご利益の源がご本尊、「十一面観世音菩薩」です。「観音菩薩」というのは、世間の人々の救いを求める声を聞き、その願いを聞き入れるという求道者の意味があります。
古より多くの人がこの「十一面観世音菩薩」に救いを求めて奈良の長谷寺を訪れてきました。当時から多くの女性が祈ったのが「美」と「縁結び」のご利益です。長谷寺には、この「美」と「縁結び」に関するいくつかのエピソードが残されています。
中でも「縁結び」お守りのご利益が高いと言われていますが、その理由として長谷寺にまつわるエピソードの中にそのヒントが隠されているようです。今回はそのエピソードを紐解くことで見えてくる縁結びお守りのご利益が高い理由を紹介したいと思います。
また、現在でも多くの人々を引き寄せる奈良の長谷寺。別名「花の御寺」とも呼ばれています。四季折々に咲く多くの花が訪れる人を魅了し続けています。その中でも今回は梅雨の時期に咲き誇る紫陽花の見頃と魅力についてもお伝えしていきたいと思います。
多くの人が救いを求める「十一面観世音菩薩」!
創建以来およそ1300年以上という長い歴史をもつ長谷寺ですが、人々の長谷信仰の始まりは、西暦727年、徳道上人(とくどうしょうにん)が聖武天皇の勅命を受けて初瀬山の東の丘に、高さ約12メートルのご本尊「十一面観世音菩薩」を祀ったことによります。
ちなみに「十一面観世音菩薩」を祀った徳道上人は、後に「西国三十三所観音霊場巡拝」の開祖となった人物です。
奈良長谷寺の「十一面観世音菩薩」は木造としては日本最大級の仏像となっており、
- 右手に「錫杖」(しゃくじょう)
- 左手に「水瓶」(すいびょう)
を持つというお姿になっています。
錫杖を持つのは本来、地蔵菩薩のお姿になりますが、観音菩薩が錫杖を持つというのは非常に珍しく他に例がありません。そのため長谷寺の「十一面観世音菩薩」は、別名「長谷観音」とも呼ばれています。
人々の声を聞き、救済を施す観音様とお地蔵様のダブルの法力をいただけるということになりますね。その意味ではご利益のパワーもより強いというイメージがありますので、参詣する側としても祈る力が倍増するのではないでしょうか。
是非、この長谷寺の十一面観世音菩薩に詣でるとともに、お守りを身近においていつでも観音様を感じれるようにしたいところです。
長谷寺のご利益を裏付けるエピソード
真言宗豊山派総本山となる奈良の長谷寺には、「美」・「富」・「縁結び」といったご利益があります。これらご利益にはそれらを裏付けるエピソードが存在します。ここで、女性にとって特に関心が高いと思われる「美」と「縁結び」に関連したエピソード2つを紹介します。
「美」にまつわるエピソード
大唐国(現在の中国)の王の第4后として「馬頭夫人」(めずぶにん)という女性がいました。顔立ちが面長で、馬のような鼻の形をしていたことからこのように称されていたといいます。
この馬頭夫人は容姿は醜かったが、情が深く、奥ゆかしい様子だったために王からの寵愛を受けていたようです。ところが、他の后たちはその様子を快く思わず、馬頭夫人を蹴落とすために、
- 日の明るいうちから王を交えての宴会を催す
- その醜い姿を王に晒すことで王との仲を裂いてしまおう
という画策をします。つまりは人の妬み・嫉みという心理が生む、いつの世にも存在する何とも悲しいような現実ですよね。
この計画を知った馬頭夫人ですが、何とか顔を美しく変えることはできないかと必死になります。計画されている宴会までは、わずか15日しか残されていませんでした。そこで夫人は、医者に相談しますが、生まれ持った顔を美しくする薬はないと断られます。
その医者からの提案で、今度は道理に長けた仙人に相談するも仙術では顔を変えることはできないとの返答であった。しかし、その仙人からアドバイスを受けた内容が、日本国の強力な法力を持つ観音様に祈願をすることでした。まさしくこの観音様こそ、長谷寺の十一面観世音菩薩だったわけです。
困った時の神頼み、仏頼みの境地ですね。馬頭夫人の心境を思えば、いてもたっても居れないという気持ちがひしひしと感じられます。
その必死さから仙人の教えに素直に従い、東方に向かって毎日、誠心誠意の祈りを捧げ続けた。そして、7日目の夜に夢か現実か不明瞭な中で、高貴な僧が現れ、手に持った瓶に入った香り水を顔に注ぐ感覚を覚えた馬頭夫人。翌朝鏡を見てみると、誰もが羨むような美顔に変わっていたといいます。
長谷寺の観世音菩薩が馬頭夫人の救いを願う真心をしっかりと受け止め、与えてくださった「美」のご利益のエピソードとなります。
ここでのポイントは、上から目線で願うのではなく、素直な心で一心に願う、その真っすぐな姿勢がご利益につながったということではないかと考えられます。
「縁結び」を裏付ける2つのエピソード
長谷寺のご利益といえば、なんと言っても「縁結び」です。そのご利益の裏付けとなるエピソードが平安時代の「蜻蛉日記」(かげろうにっき)や「源氏物語」からも読み解くことができます。ここで、それら2つのエピソードを紹介したいと思います。
「蜻蛉日記」から分かる縁結びのご利益
この「蜻蛉日記」というのは平安時代を生きた女性が夫の浮気に思い悩む心情を回想録のような形で綴った自伝、つまり作り話ではなく事実に基づく日記ということになります。
この女性は、名前は不明ですが、藤原兼家という平安時代の公卿で後に娘が生んだ子供を一条天皇に即位させ、摂政となった人物の妻であり、藤原道綱の母にあたる人物となります。
夫である藤原兼家はかなりの艶福家、今でいうところの浮気癖がひどかったと言います。ただし、当時の日本は一夫多妻制であり、妻にとっては「通い婚」状態でした。つまり、常に夫と一緒に寝食を共にするのではなく、夫が自分の元に来てくれるのをいつかいつかと待つような環境だったのです。
ところが、それはわかっていても藤原道綱母は、寂しく、嫉妬心に思い悩む日々を過ごします。藤原道綱母はよっぽど欲深い女性だったのでしょうか。いえ、当時の風習に従えないほどに夫、藤原兼家への愛が強かったのだと考えられます。
その寂しさに耐えかねた彼女は、救いを求めて京都から奈良の長谷寺を参詣したとの記録が記されています。そして、帰路3日ほどかかる帰り道、予定が大幅に遅れ、暗がりを歩いていると彼女を心配した夫の藤原兼家が宇治あたりまで迎えにきたとのこと。
この時の藤原道綱母の心境を考えるとどれだけ嬉しく、幸せな気分であったかが想像できますね。長谷寺に参詣した目的と、帰り道での夫による出迎えのタイミングを考えるとやはり、長谷観音様の縁を結ぶご利益の賜物と捉えることができると思います。
源氏物語から分かる「縁結び」のご利益
平安時代に発展した女流文学の中でも著名な「源氏物語」ですが、この中に奈良長谷寺が登場します。著者である紫式部自身も長谷寺に参詣していたようです。
この「源氏物語」に出てくる長谷寺に関連したエピソードが「光源氏」と「玉鬘」(たまかずら)の再会の物語です。
作中では、若くして女性の怨霊に取り憑かれて亡くなった光源氏の恋人、夕顔の娘の名前が「玉鬘」です。夕顔が亡くなり、4歳で遺児となった玉鬘は乳母一家に伴われて筑紫(現在の福岡県)に下ります。
その後、20歳になった玉鬘は、その美貌故に多くの求婚者が現れ、幾度となく断り続けていたが、肥後(現在の熊本県)の豪族からの求婚があまりに強引で、乳母の次男や三男までもが豪族側の味方をし始めたことから、長男の図らいで、船で京へ逃げ帰ることになります。
京にたどり着いたところで、母の夕顔がいるわけもなく、頼る宛はありませんでした。そこで神仏に祈るため選んだのが長谷寺参詣でした。その際、泊まった宿で、元々夕顔の侍女で、その時は源氏に仕えていた右近に偶然出会うことになります。右近もまた長谷寺へ参詣していたのです。
この時、玉鬘は右近から、源氏がとても心配していることを聞かされる。右近から報告を聞いた源氏は自分の娘という名目で玉鬘を自身の元へ呼び寄せ、再会を果たすという物語となっています。
物語ではありますが、長谷寺の十一面観世音菩薩の縁結びのご利益が伺い知れるエピソードとなります。夕顔の死によって別れ別れになっていた光源氏と玉鬘が、右近と玉鬘の長谷寺参詣して、長谷観音様に祈願することによって再会、つまり再び縁が結ばれるというご利益を得た素晴らしい物語です。
このように、平安時代から女性の悩みや苦難を救済するという史実や物語が多く存在するということは、どれだけその当時の女性にとって長谷寺の観音様が重要で身近な存在となっていたかが想像できます。
縁結びお守りのご利益が高いのは何故?
長谷寺のご利益は何と言っても「縁結び」です。縁結びのお守りにも観音様の法力が秘められています。紹介した「美」と「縁結び」に関連したエピソードで、それぞれにエピソードの内容は異なりますが、そこにはある共通項が見て取れます。
例えば、「馬頭夫人」のエピソードでは、
- 后たちが馬頭夫人と王の仲を裂こうしたがご利益によってより強固に繋がった
つまり、長谷寺の十一面観世音菩薩様に一心に祈ることで、絶世の美顔に変えていただき、切れたかもしれない王との縁を見事に結んで貰った。
そして、「蜻蛉日記」では、
- 夫に恋い焦がれるがあまり、長谷寺参詣に至った藤原道綱母が帰路で夫から出迎えられる
これもまた、思わぬところで思わぬタイミングでの夫との出会いを通して、切れそうになる想いを繋ぐ、つまり結ぶというご利益を頂いた。
そして、「源氏物語」では、
- 京に戻った玉鬘が身寄りのない状況から長谷寺参詣を通じて光源氏との再会に繋がった
この物語でも、長谷寺の十一面観世音菩薩様に救済を願ったことで、右近との出会いが実現し、光源氏の元へと繋がった。つまり縁を結んで貰ったのです。
この他にも、今回は詳しく紹介できませんでしたが、一本の藁から広大な田畑を持つまでになる「藁しべ長者」のエピソードも長谷寺を舞台に、その物語が始まっていきます。
これら物語に共通するのは、夫婦であれ、親子であれ、また他人同士であれ、人との出会いがキーになっていることです。
長谷寺の十一面観世音菩薩様は救済を求める全ての人にご利益をお与えいただきますが、それは全て人との出会いを通じて賜るご利益となっています。つまり人と人との縁結びによって救済を求める全ての人を助けてくださる霊験あらたかな観音様と言えるのではないでしょうか。
あくまで、独りよがりな欲に基づいて求める救済ではなく、願う者の素直で純心な心を見澄まして「人との縁を結ぶ」ということを通じて観音様の法力が効力を発揮するのだと考えられます。
遠く中国にまで名を馳せる長谷寺。古から数えきれない人の願いを聞き入れて、ご利益をお与えくだされてきた観音様だからこそ、参詣して直接、拝することもそうですが、その法力が詰まったお守りにもご利益が宿る所以ではないかと思います。
奈良の長谷寺は紫陽花も見応えあり!
花の御寺と称される長谷寺は、元々牡丹が有名です。実はこの牡丹は、先に紹介した馬頭夫人が観音様のご利益を受けて、その御礼として送った宝物の中に、その種が含まれていたと言います。それにより、長谷寺は多くの牡丹が咲き誇る寺として知られるようになりました。
奈良、長谷寺は実は牡丹だけではなく桜、芝桜、てっせん、スイレン、蓮、紅葉、そして紫陽花と季節に応じた様々な花が咲き誇り、訪れる人の目と心を楽しませてくれます。そこが「花の御寺」と称される所以となっています。
その中でも、今回ご紹介したいのが「紫陽花」です。紫陽花といえば、雨の季節、そう、梅雨の時期に咲く花です。誰でも雨の日にはなかなか出不精になりがちですが、雨天だからこそ長谷寺全域に咲き誇る約20,000本の「紫陽花」の醍醐味を味わいに出かけたいところです。
紫陽花の見頃はいつ?
例年であれば梅雨の時期となる、
- 6月中旬~7月中旬にかけて
が「紫陽花」の見頃となります。特に7月に入ってすぐ頃が開花も進んでいますので、一番の見頃になります。
但し、今年2018年の桜の場合は全国的に例年より早く咲きましたよね。世間で言われている温暖化の影響なのかもしれませんが、昨今は季節感が少々ずれてきている状況も否めませんので、訪れる前に紫陽花の開花情報を長谷寺に確認してみるのも良いかもしれませんね。
長谷寺の情報
紫陽花が見頃を迎えているかどうかは、長谷寺へ直接確認するのが良いでしょう。
- 長谷寺所在地:奈良県桜井市初瀬731-1
- TEL/FAX:0744-47-7001 / 0744-47-7711
- 拝観時間:8:30~17:00(4月~9月)/ 9:00~16:30(10月~3月)
- 拝観料:大人・中高生 500円 / 小学生 250円 / 障害者手帳提示 250円
- ホームページ: http://www.hasedera.or.jp/
奈良、長谷寺を訪れる際は、寺院周辺に駐車場はありますので閑散期においては車でも大丈夫ですが、オンシーズンで混雑が予想される場合は、できるだけ電車を利用することをお勧めします。
電車ご利用の場合は、
- 近鉄大阪線の長谷寺駅を下車
古から長谷寺へ参詣した数多くの人々に思いを馳せながら徒歩で参道を進むのも良いのではないでしょうか。
この記事のまとめ
- 奈良の長谷寺は真言宗豊山派総本山の格式高い寺院である
- 長谷寺は四季折々の花が咲く別名「花の御寺」と称される
- 長谷寺に祀られている十一面観世音菩薩は木造としては日本最大の仏像である
- 長谷寺は「馬頭夫人」のエピソードに裏打ちされた「美」のご利益がある
- 長谷寺は「蜻蛉日記」や「源氏物語」といったエピソードから「縁結び」のご利益が高い
- 長谷寺の十一面観世音菩薩は人との縁を通じて様々なご利益を与えてくださる
- 長谷寺の縁結びのお守りにも十一面観世音菩薩の法力が込められている
- 長谷寺の紫陽花は通常6月中旬~7月中旬にかけてが見頃である
人がそれぞれ歩む人生においては、誰しも順風満帆というわけにはいきません。長い人生の中には山あり谷あり。良い意味でも悪い意味でも「人生の節」がやってきます。
困った時の神頼み、仏頼みではありませんが、救いが必要な時は、悠久の時を刻んできた奈良の長谷寺に祀られた十一面観世音菩薩への祈りを捧げてみてはどうでしょうか。
祈る心を持てるということは、既にご利益いただける条件となる素直な心になれているということになりますよね。四季折々に咲く花のようにきっと長谷寺を去るときには華やかな気分になっていることでしょう。