ハニカミ王子こと、プロゴルファー、石川遼選手。2007年に開催されたマンシングウェアオープンKSBカップにアマチュア枠として出場し、プロゴルフ大会史上で最年少優勝を飾るという快挙を達成、世間からの注目が一気に頂点に達しました。
アマチュアでありながらプロ選手に混じっての堂々の優勝を果たしたことで、翌年2008年にはプロ転向を宣言し、プロ選手としてツアーに参戦します。
デビュー当初の数試合では予選落ちなど思ったような成績を残せませんでしたが、その年の後半からはしっかりと実力を発揮し始め、プロとしての最年少優勝や獲得賞金1億円突破の最年少記録を打ち立てるなど数々の最年少記録を打ち立てていきます。
ところが、2013年から挑戦を始めたアメリカツアーでは、プロ転向当初のような勢いはなく、思ったような実績を残せず、低迷期に突入していきます。
そんな石川遼選手、プライベートでは2016年3月に中学校時代からお付き合いのあった女性との結婚を発表しています。公私ともに充実した環境となり、何か良い方向へ変化するきっかけになると思われました。
しかし、結婚後も石川遼選手の成績不振からの脱却がなかなかできない状態が続いています。特にスポーツ選手をメンタル面で支えるべき嫁としての努めがしっかりできておらず、「嫁はさげまん」ではないかと世間で囁かれたりもしています。
はたして、本当に石川遼選手の嫁は「さげまん」なのでしょうか?また、そのことが石川遼選手の成績不振の原因となっているのでしょうか?実際のところを検証してみたいと思います。
また一方では、石川遼選手がタトゥーを入れているとの噂まで出ました。とにかく誰でも有名になると世間は噂であふれるものですが、その真偽は一体どうなのでしょうか?
調べてみると、このような噂が出た背景には驚きの理由が見えてきたんです。今回はこの点についても、お伝えしていきたいと思います。
石川遼ってどんな選手?
15歳という若さでプロ選手と渡り合える才能を見せた石川遼選手は、
- 生年月日:1991年9月17日(26歳)
- 身長:175㎝
- 体重:72㎏
- 出身地:埼玉県北葛飾郡松伏町
- 血液型:O型
- ゴルフを始めた年齢:6歳
- 得意クラブ:ドライバー
- 憧れの選手:タイガー・ウッズ
- ニックネーム:ハニカミ王子
ゴルフを始めた年齢ときっかけは?
石川遼選手がゴルフを始めたのは若干6歳という年齢でした。そのきっかけは、父に連れられてゴルフ練習場へ行き、初めてゴルフに触れたことで、その面白さにハマったのだといいます。
確かに、どんなことでもそうですが、その道のトップレベルに行くにも先ずはハマる程に好きでないと始まりませんよね。この運命的な瞬間が後に記録ずくめのプロデビューを果たす石川遼選手の華麗なるゴルフ物語の原点だったわけですね。
小学校時代からゴルフの才能発揮!?
6歳から始めたゴルフに、のめり込んだ石川遼選手ですが、2004年(小学校6年生)の時には、「全国小学校ゴルフ選手権横尾要カップ」で優勝を果たします。既に同年代の中ではゴルフのスキルが抜きん出ていたことが伺えます。
小学校にはゴルフ部は存在しておらず、部活としてはサッカー部に所属していたようです。ゴルフに関してはもっぱら父の指導のもと、自己練習に励んでいたとのこと。
部活のサッカーで足腰を鍛えながらゴルフスキルを磨いていったんですね。ゴルファーにとっても足腰の強さと安定度は非常に重要な要素。正に一石二鳥の環境です。
更に飛躍した中学時代!
中学校へ入学した石川遼選手は、ゴルフの実力を爆発的に開花させます。地方、全国大会の戦績は全11試合中、8試合で優勝、3試合については5位以内という力を見せます。素晴らしい戦績です。
これだけの戦績を残しているにもかかわらず、石川遼選手の中学時代の部活は陸上部というから驚きです。通っていた松伏町立松伏第二中学校にはゴルフ部がないため、小学校時代同様、足腰を鍛えるための、あくまでゴルフのための部活だったと言えます。
ゴルフの指導はもっぱら父だったようですが、石川遼の父はプロゴルファーなどではなく信用金庫勤務だったようですので、プロ並みのスキルを指導できたかというと少々怪しい感があります。そのため石川遼選手の驚きの戦績は彼自身の天性によるものと言えます。
中学時代に出会った将来の嫁!?
そして、この中学校には将来のお嫁さんとなる「ひとみ」(苗字は不明)さんも通っていたんです。そう、石川遼選手の嫁は中学時代の同級生だったんですね。
既に中学時代からプロゴルファーへの道とお嫁さん候補のお膳立てができていたことになります。結果的に、この2つの要素がブレることなく一筋に将来に繋げていったあたり、石川遼選手の真っすぐで、真面目な性格が想像できます。
プロ転向を決めたきっかけとは?
中学時代を華やかな戦績を残して卒業した石川遼選手は、私立杉並学院高等学校(東京都杉並区)へ進学しますが、この高校時代に世間を釘付けにする快挙を達成します。
それがアマチュア枠で2007年に出場したプロの大会「マンシングウェアオープンKSBカップ」で若干15歳8ヶ月という最年少記録で優勝という快挙です。
このプロ大会で優勝を果たしたことで、石川遼選手には、プロテストを受けることなく、意思表明でプロに転向できる資格を得たわけです。
そして2008年1月にプロ宣言を行ない、見事、最年少(16歳3ヶ月24日)プロゴルファーが誕生しました!
ここから石川遼選手のプロとしての戦いが始まります。プロ転向直後は、世間で騒がれたほどの戦績は残せませんでしたが、同年8月に行われた「関西オープン」で優勝したのをきっかけに、優勝回数を積み重ねていきます。
その活躍もあり、特に熱狂的女性ファンが急増し、石川遼選手が出る試合は多くの女性ファンで埋め尽くされるシーンが度々に見られました。このことが女性ゴルファー人口の増加に大きく貢献したことは言うまでもありません。
婚約発表とアメリカツアーへの挑戦!
快進撃を続けた石川遼選手ですが、2012年には
- 三井住友VISA太平洋マスターズで優勝
- この優勝がプロとして通算10勝目
- 通算10勝到達が16歳1ヶ月の史上最年少記録
という金字塔を打ち立てます。
この盤石な戦績をもって、同じく2012年、当時お付き合いしていた中学時代の同級生である「ひとみ」さんとの婚約を世間に発表します。正に公私共に充実したタイミングでの発表でした。
熱狂的女性ファンは、この婚約発表をどのように受け止めたのでしょうか?嬉しさ半分、嫉妬半分だったかもしれませんね(笑)。
この婚約発表の翌年の2013年に、石川遼選手はアメリカツアーへの参戦を開始します。国内での実力は申し分の無い戦績です。このタイミングで、更なる高いレベルの境地へ挑戦するというのは至極自然な選択だったと思われます。
ところが、世間の期待と注目を一身に背負って、アメリカツアーへの挑戦がスタートしましたが、この挑戦は同時に石川遼選手の成績不振の始まりでもありました。
成績不振は嫁が「さげまん」だから?
2013年から2017年までのアメリツアーの挑戦では、途中、腰の怪我もあり、予選落ちも多く、予選を通過しても上位に食い込むことがほとんど無い状態が続きます。それまでの国内での破竹の勢いが嘘のようです。
この成績不振に陥り始めた、つまりスランプが、奇しくも中学時代の同級生である「ひとみさんとの婚約を発表した翌年」から始まってしまったわけです。
大抵の場合、男性にとっては結婚を決意することで更にモチベーションが上がっていくものですが、石川遼選手の場合は、そのモチベーションとは逆に成績不振状態へまっしぐら!
長きに渡って熱狂的に応援をしてきた多くのファンの期待は見事に打ち砕かれることになります。あれだけの実績を国内で残しておいて、ここまで一気に不振に陥ることは信じられなかったはずです。
石川遼選手の場合、プロデビューの年齢がかなり低かったこともあり、全てのファンは石川遼選手より年齢的にはずっと上です。その上で、特に女性ファンの石川遼選手への熱の入れようは半端ないことから、
- 彼女たちにとっては石川遼選手がまるで自分たちの息子のような存在に映っていた
- よって婚約者に対する評価がより厳しくなってしまう
- これらから、このタイミングでの成績不振の原因が婚約者の存在である
と考えたとしても決して不自然ではないですよね(笑)。
確かに途中、腰の怪我もあって思うようなゴルフができていなかった時もありましたが、このこともまた婚約中での出来事であったことから婚約者に対するマイナスイメージに捉える方向にファンの意識が向いたと考えられます。
思うような結果が出せない成績不振のまま、2016年3月2日、ついに「ひとみ」さんと結婚となりました。婚約発表から実に4年が経過していました。思うような結果が残せない日々が続いたので、なかなか踏ん切りがつかなったのかもしれません。
実におめでたいところですが、結婚以降も復調の兆しがなかなか見えてこない日々が続きます。このことが今度は、
- 石川遼選手の嫁はやはり「さげまん」ではないか!?
という噂が駆け巡ります。
ところが、嫁のひとみさん、実際には石川遼選手の日々の戦いの影で、身の回りのお手伝いをしたり、試合に同行したりと献身的につくされているようです。実際、石川遼選手も「そばについていてくれて精神的にとても心強い」旨の発言をしています。
こうやって情報を整理していくと、石川遼選手の嫁がさげまんというのは信憑性に欠けていると言えそうです。
鮮烈なプロデビューを飾った若干16歳の純心な石川遼選手についた多くのファンがあまりにも熱烈過ぎたことから、長きに渡って成績不振が続いたことに対して応援したい気持ちとは裏腹に出た残念さと悔しさの心情がこのような噂を生んだのだと考えられます。
ゴルフというのはメンタルが大きく結果を左右するスポーツです。少なくとも石川遼選手にとっての嫁「ひとみ」さんの存在は精神面な支えになっている点では、決して「さげまん」ではありませんね。
石川遼選手のタトゥーの真偽は?
誰であっても世間で有名になればなるほど、良し悪しにかかわらず、様々な噂があがるものです。石川遼選手にはタトゥーの噂が浮上しました。
石川遼選手のどの部分にタトゥーが入っていると噂されたのかというとそれは右腕でした。
- デビュー当時から右腕に常にサポーターをしていた
というのが、この噂がたった理由です。
確かに石川遼がしていたような腕のサポーターを他の選手が装着しているのをほぼ見かけません。石川遼選手のトレードマークのようなサポーターです。このサポーターがタトゥーを隠しているのではと噂されてしまったんですね。
では、このような腕へのサポーターをしているからといって、それがタトゥーを入れている理由とするのはどうなのでしょうか?どこか不自然というか、少々無理のある決めつけと感じられますよね。
実はもう一つ、タトゥーの噂の理由がありました。それは、
- 大抵の選手が行なうロッカールームでの着替えを石川遼選手が一切しない
ということです。
どこのゴルフ場にも着替えを行なうためのロッカールームが常設されています。また、プレー後に汗を流すために、特に国内ではお風呂も常設されていますが、いずれも石川遼選手は使用しないらしいのです。
石川遼選手タトゥーを隠すために人前で服を脱ぐことを避けているのではととられ、噂の信憑性が高くなってしまったようです。
更にタトゥーの信憑性を高める理由が、2011年7月24日に放送された「24時間テレビ34 愛は地球を救う(日本テレビ系)」でした。同年3月11日に東北で発生した震災の慰問で訪れた石巻市の門脇小学校での石川遼選手の服装です。
24時間テレビの定番となる黄色いTシャツを着ていたのですが、周りの子供たちとは唯一違って、
- Tシャツの下に石川遼選手だけが七分袖のシャツを着ていたこと
でした。決して寒くない日で、直射日光のもとむしろ暑ささえ感じる環境でのこの格好です。やはり、何かを隠そうとしているのではないか!?その何かとは「タトゥー」!?
タトゥーを入れていると想定すれば、段々と辻褄があってくるようなポイントがクローズアップされてしまっています。
しかし、実際はというとタトゥーなんて存在しませんでした。それを裏付ける画像が実はこれです。
2018年4月に開催された東建ホームメイトカップ2日目のショット時の画像になります。この時はトレードマークだったサポーターはしていません。そのサポーターだった部分にキズ跡が見えます。
実はいつも装着していたサポーターは、「Colantotte」コラントッテという永久磁石を使用した機能性サポーターだったようです。
キズの原因は不明ですが、プロ選手になる以前からこのキズ跡はあったようです。このサポーターはキズを隠すためというよりはむしろ、キズを負った原因に関連して腕を守るためだったと考えられますね。
ということで石川遼選手のタトゥー疑惑は嘘だったと判明しました。嫌疑は見事に晴れましたね(笑)。
何故、タトゥーの噂が浮上したのか?
それにしても、世間での認知度が高まると良きにつけ悪しきにつけ様々な噂が立つものです。石川遼選手の場合は、「タトゥー」でした。
では何故、本来、紳士のスポーツと言われるゴルファーにあるまじき「タトゥー」という噂が立ってしまったのでしょうか?その理由は検証していくと結構驚きです。
若干15歳で鮮烈デビューしたことで俄然世間からの注目度は頂点に達し、プロデビュー後の快進撃もファンや世間からの期待度は高まるばかりでした。
ところが、アメリカツアーに挑戦したときから陥った長きに渡る成績不振のせいで、ファンや世間の期待度が高かった分、裏切られた感が反動となってあらぬネガティブな噂となって現れたと考えられないでしょうか。
よく、愛情が深い分、裏切られた時の憎しみは強いと言いますよね。それと同じ心理が石川遼選手に期待を寄せる多くの人に起こったと思われます。タトゥーの噂の理由はそんな心理から発生したのだと思われます。意外なところに噂の発生理由というのがあるものです。
もしも、成績不振に陥ることなく、世間の期待通りの活躍を続けていたと仮定したら、このようなネガティブな噂は出てこなかったと思います。
逆に、トレードマークであるサポーターは、タトゥーを隠すためではなく、「石川遼選手の強さの味方」として捉えられたはずです。その意味では、実にファンや世間の思いというか、心理は驚くほど移ろいやすいと言えます。
この記事のまとめ
- 石川遼選手は小学生からゴルフの天才ぶりを発揮していた
- 石川遼選手の嫁は中学校の同級生だった
- 石川遼選手はアマチュアとして15歳8ヶ月という史上最年少でプロの大会で優勝した
- 石川遼選手は2008年、16歳でプロ転向を宣言、史上最年少のプロツアー選手となった
- 石川遼選手は2012年に将来の嫁となる「ひとみ」さんとの婚約を発表
- 婚約を発表した翌年から挑戦したアメリカツアーが成績不振の始まりとなった
- 成績不振の原因が嫁のさげまんによるとの噂が出たが嫁は献身的に石川遼選手を支えた
- 成績不振にかかわらず石川遼選手にとっての嫁は常に心の支えだった
- タトゥーの噂は石川遼選手への期待度が高すぎたことが理由だった
長きに渡って続いた成績不振ですが、今年2018年から本格的に国内ツアーに復帰した石川遼選手。4月に参戦した東建ホームメイトカップでは優勝争いを行ない、結果は2位でしたが、復調を予感させる戦いぶりでした。
成績不振のせいで嫁がさげまんとかタトゥーを入れているといったネガティブな噂が飛び交いましたが、全ては噂に過ぎず、嘘でした。ある意味それだけ石川遼選手への熱い視線が注がれている証でもあります。さげまんとまで噂された嫁の真実の姿を知るのは正に石川遼選手自身です。
数々の節を乗り越えて、プロゴルファーとしてさらなる成長をして、自身や嫁に関してポジティブな噂に包まれる強い選手になることを期待したいところです。